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イタリア旅行記(25):ヴェネツィア観光(その4) [イタリア旅行]

ヴェネツィア観光の最終回です。
ゴンドラに乗った後、ムラノグラスの工場に行きました。実演は、溶けたガラスから花瓶を作るという実演で特に、珍しいものではありませんでした。この工場の中の製品は、デザインは、秘密と言うことで、撮影禁止でした。折角でしたので、お土産にレースグラスの花瓶を買いました。ちょっと高かったです。
そうこしているうちに、サン・マルコ広場にも夕暮れ時になってきました。

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IMG_7297r1夕暮れサンマルコ寺院me.jpg


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イタリア旅行記(24):ヴェネツィア観光(その3) [イタリア旅行]

ヴェネツィアでは、やはり、ゴンドラに乗りたいですね。
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ゴンドラに乗って出発です。この青の世界は何か??
02IMG_7118a2ため息橋me.jpg




上に何やら橋のようなものがあります。
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イタリア旅行記(23):ヴェネツィア観光(その2) [イタリア旅行]

昨日は、関東地方、一日雨の予報でした。この中での、毎月、2回ゴルフをやる仲間の中でのハンディキャップ戦でした。26日は、別のコンペで、準優勝して調子が上がってきていましたので、内心期するところが有りました。前日も練習場で軽く打って、臨みました。
ゴルフ用のメガネを忘れるという大失敗がありましたが、雨の中、44+46 のグロス90, ハンディキャップの18を引いて、ネット イーブンというスコアで優勝でした。最後の2ホールは、雨が強くなって、トリプルボギー、ダブルボギーという上がりで、少し、反省するところもありますが、前回の準優勝にもまして、うれしかったですね。今年は、ゴルフと山登りに時間をかけるというつもりでしたので、早速、結果が出たという感じです。

さて、イタリア旅行の続きです。ヴェネツィア観光の続きです。

サン・マルコ広場の鐘楼です。

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イアタリア旅行記(22):ヴェネツィア観光(その1) [イタリア旅行]

一昨日は、いいお天気でしたね。古い友人とのゴルフコンペでした。
24というハンディキャップに恵まれて、グロスは47+49=96、ネット イーブンの準優勝でした。あまりまわったことのないコースで、2発OBを出しながら、前半、後半とも50を切れたのは、まずまずでした。
さて、イタリア旅行に戻ります。花のフィレンツェの次は、ヴェネツィアです。この都市も、フィレンツェの次に是非行きたいと思っていた街です。
この際ですから、あまり、ヴェネツィアの歴史についてご存じない方のために、ウィキペディアからヴェネツィアの歴史の概略を紹介します。
ヴェネツィアは、伝説では、アクイレイア、パドヴァなどの北イタリアの都市の住民が、5世紀のゲルマン人のイタリア侵略からのこの湿地帯へと避難してくることから、ヴェネツィアの歴史が始まります。この時避難してきた先が現在の「トルッチェロ島」です。足場が悪い湿地帯のため、侵入者は追ってくることが出来ず、避難した人々はここに暮らし続けるようになります。 元々東ローマ帝国の支配下にあるため、名目上は東ローマ帝国に属したが、実質的には自治権を持っていました。697年、ヴェネツィア人は初代総督を選出して独自の共和制統治を始めました。これがヴェネツィア共和国の始まりです。9ー10世紀、フランク王国との公易、イスラム諸国との交易などで、力をつけていきました。 1204年、第4回十字軍とともにヴェネツィア艦隊は東ローマ帝国首都のコンスタンティノポリスを攻略、援助への代償としてクレタ島などの海外領土を得て東地中海最強の海軍国家となり、アドリア海沿岸の港市の多くがヴェネツィアの影響下におかれました。ヴェネツィア共和国は東ローマ帝国分割で莫大な利益を獲得し、政治的にも地中海地域でヨーロッパ最大の勢力をほこるようになりました。 13〜14世紀には商業上の宿敵であるジェノヴァとの戦いが続きました。1378〜81年の戦いで、ジェノヴァはヴェネツィアの優位を認めました。その後も侵略戦争で周辺地域に領土を獲得したヴェネツィアは、15世紀後半にはキリスト教世界でも屈指の海軍力をもつ都市国家となりました。15世紀半ばのオスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、最盛期は終わりを告げました。1538年におけるプレヴェザの海戦で、オスマン帝国は地中海の制海権をほぼおさえ、さらにヴェネツィアにとっての圧力となりました。その上、大砲の登場により干潟に住むメリットが無くなってしまいました。その後の諸外国の侵略や、ほかのイタリア都市の攻撃で、ヴェネツィアの力は弱まりました。

これが、サンマルコ寺院です。

01IMG_7167meサンマルコ寺院.jpg


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イタリア旅行記(21):フィレンツェ観光(その5) [イタリア旅行]

さすがに、松江のホーランエンヤ見物の後、大阪に寄って帰ってきたせいか、昨日は、腰痛が少し、ひどくなって、膝までちょっと痛くなりました。今朝起きたら、まだ、腰、膝に痛みがありましたが、折角のいい天気でしたので、京成ローズガーデンにバラの撮影に行きました。平日なのに、たくさんの人が来ていました。バラはほぼ満開の状態で、昨年は害虫にやられたりして、少し、出来がよくありませんでしたが、今年は、すばらしい出来でした。この写真は、いづれ、ブログで紹介したいと思いますが、今日は、フィレンツェ観光の最終回を紹介したいと思います。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラに登った後、ベッキオ橋付近まで散歩しました。
これは、陽が落ちて、空が青みを増して行く瞬間の時間帯の撮影です。
さすがに大聖堂付近も人が少なくなっています。
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イタリア旅行記(20):フィレンツェ観光(その4) [イタリア旅行]

久しぶりの更新です。
5月15日から17日松江に行き、17日から19日大阪によって、戻ってきました。
16日は、12年に一度のホーランエンヤという祭りがあり、それにあわせて、16日に昔のご近所の同窓会をやろうということになっており、旅行が計画されていました。お袋の状態が12日に悪くなって、13日に大阪に日帰りで、お見舞いをしていましたが、17日-18日の隠岐の島旅行は止めて、 15日から17日松江、17日から19日大阪で、本日千葉に戻ってきました。
3日間、お袋をお見舞いしましたが、元の元気な状態に戻っていました。皆様からお心遣い戴きありがとうございました。

丁度、大阪に17日に入った日に、神戸で新型インフルエンザの発生があり、患者がどんどん増えてきて、18日は、高校、中学、1週間臨時休校、外に出るときは、マスク着用なんて、テレビで、やっていました。マスクは当然あっという間に売り切れで、したくても、できない人が多数いました。一応、マスクは、何個か持って行きましたので、それほど、困りませんでしたが、テレビで、マスク着用なんていえば、すぐ売り切れになるのは、当然のことで、マスクくらい、保健所とか、駅などで、無償で配ってもいいのではないかと思いますがーー。テレビで、インフルエンザ対策で、手洗い、うがい、マスク着用、マスクは、毎日、交換してくださいと言っても、マスクがなければ、どうしょうもないですね。普通のインフルエンザでも、マスクは、相当効きますので、肝心なときにないというのは、お粗末です。

さて、松江のホーランエンヤの写真は、整理しだい、ブログに載せたいと思いますが、今日は、前回のイタリア旅行、フィレンツェ観光の続きです。
シニョーリア広場のあと、ウフィツィ美術館に行きました。ここは、予約していない駄目ですし、予約があっても、個人では、かなり待たされるそうです。すぐに、入れるのがツアー旅行、団体旅行の強みですね。

ウフィツィ美術館は、イタリアルネサンス絵画で有名な美術館ですね。もともとは、1560年から1580年に建設された行政機関の事務所であったのです。コジモ1世が、あちこちにあった官庁をこのウフィツィにまとめたのですが、コジモ1世は住まいであったピッティ宮殿から、ベッキオ橋の2階部分を通り、毎日通う庁舎(現・ウフィツィ美術館)へ至る約1kmの通路(ヴァザーリの回廊)も造らせたそうです。この回廊に絵画700点を展示したのが、美術館の始まりです。

残念ながらこの中の絵は、撮影禁止です。中から外を撮影するのはOKですので、ウフィツィ美術館から撮影したベッキオ橋を載せます。
前に載せたベッキオ橋より、高い場所からの撮影になっています。

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イタリア旅行記(19):フィレンツェ観光(その3) [イタリア旅行]

昨日は、お袋さんの調子が悪く、急遽、大阪へ日帰りで行ってきました。8時30分の伊丹空港行きの飛行機に乗りましたが、自動の航空券発売機で購入したら、座席指定を、詳細指定でやるところ、窓側選択にしたため、左側の窓側でした。かなり雲が出ていましたので、いづれにしても、富士山は見えなかったと思います。
伊丹空港に到着するとき、久しぶりに大阪城を見ました。新緑の中の大阪城がきれいでした。残念ながら、写真撮影はできませんでした。

さて、イタリア旅行の続きですが、今日は、シニョーリア広場です。ここは、ベッキオ宮殿があり、色々な彫像が、あります。現在並んでいる彫像はほとんどコピーのようで、本物はアカデミア美術館にあるようです。
01IMG_6867meシニョーリア広場.jpg


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イタリア旅行記(18):フィレンツェ観光(その2) [イタリア旅行]

昨日、今日と天気が久しぶりにいい予報でしたので、2回目の登山靴のチェックのために大菩薩峠―大菩薩嶺登山をして、その帰りに富士五湖に寄って、富士山の撮影、そして、本栖湖の芝桜の撮影、その後、富士スカイラインで、新五合目まで車で行き、宝永火山の火口付近まで、行ってきました。

その写真は、後日、紹介するとして、今日は、フィレンツェ観光の続きです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、旧聖堂の位置に1296年からアルノルフォ・ディ・カンビオの設計をもとに建設が開始され、工事監督者も色々変わり、設計も変更されて、最大の難工事であるクーポラが1420-1434 年に行われ、1436年に献堂式が行われています。ファザードは、未完のまま残されていましたが、1587年に取り壊されました。新しい提案が色々され検討されました。現在のファザードは、エミリオ・デ・ファブリスの設計で、1871~87年に製作されたものです。白大理石を基調とし、緑、ピンクの大理石によって装飾され、イタリア的なゴシック様式に仕上がっています。全長153m、最大幅90m、高さ107m。八角形の大クーポラの内径は43m、聖堂の大きさとしては世界で4番目に大きいものです。
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イタリア旅行記(17):フィレンツェ観光(その1) [イタリア旅行]

ピサの後は、いよいよフィレンツェに向かいます。
フィレンツェは、何度となく、テレビで、放送されています。ルネッサンス美術の宝庫ともいえるところですので、本当は、こことベネチアで、一週間から10日位滞在したくらいですが、最初は、ざっと見るツアーに入るのもいいかと思って、今回は個人旅行ではなくツアーにしました。
これが、フィレンツェの眺望です。

01IMG_6802r1フィレンツエ眺望me.jpg





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イタリア旅行記(16):ピサ観光(その2) [イタリア旅行]

今日は、イタリア旅行ピサ観光の続きです。
ピサの大聖堂です。奥行きが、100メートル、幅が30メートルで、上から見ると十字形をしています。十字の中心には、クーポラが設けられています。
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ファザードの基礎部は、白の大理石で、飾られ、上部は4段の列柱とアーチで構成されています。ヨーロッパ最大のロマネスク教会で、ビザンチンのモザイク、イスラムの先頭アーチ、ロンバルディア地方の小アーケード、古代ローマの列柱など、各種の建築要素を混在させ、融和しています。

どうぞ


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